幼少の頃より物作りが好きで、自分の作ったもので誰かが喜んでくれるのが嬉しかった。
小学生の頃。休み時間は頭の中で思い描いた絵や物語を自由帳に書いたりしていた子供だった。友達から頼まれて、その時期に流行っていたキャラクターを描いてあげたり、学校行事で使うしおりや横断幕などを手掛けたりなど、当時から自分で考えた創作物で、誰かが喜んでくれるのがただただ嬉しかった。そして、そんな「描く」ことで自己表現をしていた少年の興味はやがて「歌う」ことへも波及していった。
中学生時代、友人に誘われて行ったカラオケで歌うことの楽しさに目覚め、暇さえあれば一人でも通い、お気に入りのアーティストの曲を上から順番に歌って制覇するなどの遊びをやっていた。ほどなくして作詞なども始め、この頃から少しずつ音楽活動をスタートさせていく。
転機が訪れたのは高校の時、旧友が親戚の披露宴の余興で歌うことになり、ユニットを組んでくれないかと声を掛けてもらったことがあった。初めてカラオケ以外の場で、初めて誰かと作る音楽。披露した後の拍手の波が忘れられず、興奮を引きずったまま夜の駅前に移動し路上でゲリラライブを声が枯れるまで歌い続けた。これがMinaWagaShi.の原体験になる。
大学生になってもあの時の興奮がずっと脳裏に焼きついたままだった。学校の文化祭に出演することを理由に再度ユニットを結成。そこから1年間、毎週末駅前で路上ライブを行ったり、自主制作のCDを販売したりワンマンライブも行うなど精力的に活動する。しかし、自分の音楽の才では職業としてやっていくことに自信が持てず就職の道を選ぶ。そして上京することをきっかけにユニットは休止となった。
活動最後のワンマンライブを成功させたその足で東京行きのバスに乗り込み、集まってくれた仲間やファンに見送られながら、涙も乾かぬうちに首都へ赴いた。社会人として働くことを選んだ。けれど、音楽を通して自己表現をしたい欲求は決して色褪せることはなかった。辛い時、何かに縋りたいとき、そこには音楽があった。歌っている時だけは自由になれた気がしていた。
時代も変わり、個人でも様々な発信ができるようになってきた現代。働きながらもその夢を追いかけ直すことを決意する。色々な方法を試し、自分に合ったスタイルを模索していく中で現在の恩師と出会い、今の「MinaWagaShi.」が誕生する。
我以外皆我師
経験を重ねる中で、自分一人では何事もなすことができない。周りに助けられているからこそ自分が存在できる。自分と違う人生を歩む人達からは沢山のことを学ぶことができる。全ての人を師と思い、この初心を忘れないように。活動名はそんな想いを込めて名付けられている。